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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)644号 判決 1987年5月06日

原告

生方一正

原告

生方龍一

原告

遠藤久美子

原告ら訴訟代理人弁護士

輿石英雄

佐藤克洋

被告

勝岡つね子

被告

勝岡洋治

被告

勝岡啓士

被告

勝岡憲生

被告

島田美樹子

被告ら訴訟代理人弁護士

伊集院功

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  原告らの求める判決

1  被告勝岡つね子は、原告生方一正に対し金一一九一万七〇七六円、原告生方龍一、同遠藤久美子に対し金七一一万三五三七円ずつ及びこれらに対する昭和五六年二月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告勝岡洋治、同勝岡啓士、同勝岡憲生、同島田美樹子はそれぞれ原告生方一正に対し金二九七万〇九二六円ずつ、原告生方龍一、同遠藤久美子に対し金一七七万八三八四円ずつ及びこれらに対する昭和五六年二月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被告らの求める判決

主文第一、第二項と同旨

三  請求原因

1  ヒサの死亡

生方ヒサ(以下、ヒサという)は昭和五六年二月一八日夜、勝岡泉吾医師(以下、勝岡医師という)が開設する二俣川中央医院(以下、中央医院という)に入院して、勝岡医師の診断、治療を受けたが、同月二〇日午後三時、同医院において死亡した。

2  勝岡医師の過失

ヒサの死亡は勝岡医師の過失によるものである。

すなわちヒサには高血圧、妊娠腎の既往症があり、慢性的に腎障害を起こしており、乏尿傾向にあつたが、二月一八日夜には腎不全、心不全に陥り、これらに基づくショック状態もしくはショック準備状態となつて中央医院に入院した。

このような患者に対しては担当医師は腎不全、心不全を疑い、尿量、尿回数、尿蛋白、レントゲン、心電図などの検査を行い、場合によつては検査、治療設備の整つた他の病院に転医させなければならないのに、勝岡医師はヒサの病名をビールス性急性肺炎と即断して、これに対する治療に終始し、前記諸検査を怠つてヒサの前記疾病を看過し、これに対する治療をなさなかつたため、ヒサの症状は増悪し、腎不全に心不全などの循環不全が重なつた結果、体液バランスが不可逆的に乱れ、死亡するに至つた。

<中略>

理由

一請求原因1については当事者間に争いがない。

二請求原因2のうちヒサの入院、勝岡医師がヒサをビールス性急性肺炎と診断したこと、ヒサの死亡の点は当事者間に争いがない。以下、その余の点について検討する。

<証拠>によると

1  女性は妊娠後期に腎障害を起こし、蛋白尿、高血圧、浮腫などの症状を示すことがあり、その軽度のものを妊娠腎(その予後は余り悪くはないが、持続性の高血圧を残すことが少なくない)と呼ぶことがあるが、ヒサ(昭和四年三月二〇日生・死亡当時五一歳)も妊娠中に妊娠腎にかかり、血圧が高く、昭和四七年ごろ、近くの開業医から腎炎といわれたことがあり、昭和四九年六月、全身倦怠感などをうつたえて東洋堂医院で診察を受けた時の血圧は九四―一六四であり、昭和五三年六月、育生会横浜病院で帯状包疹の治療を受けた時の検査では蛋白尿があり、血圧も一〇〇―一五二であり、昭和五四年一一月、高血圧をうつたえて岸根医院で治療を受けた時の血圧は九〇―一六〇であり、昭和五五年七月、相和会で治療を受けた時の血圧もほぼ同様であり、昭和五六年一、二月、岸根医院の医師が計つた時の血圧もほぼ同様であつた。

2  ヒサはこのような既往症を有していたが、昭和五六年二月上旬ごろは比較的元気(同年一月一四日と二月六日にヒサを診察した岸根医院の藤川医師作成の診断書―甲第七号証―にも、ヒサの血圧は安定しており、特別異常を認めなかつた、と記載されている)であつた。

しかし入院の一週間前から風邪ぎみ(尤も勤め―ヒサは京浜交通の雑役婦であつた―に出ていたので、さほど重いものではなかつたものと思われる)で、二月一八日は用事があり、勤めを休んで自宅にいた。

3  ところが当日夕方ごろからヒサは熱が出、胸の痛みをうつたえ、気分が悪いといつて床に臥し、午後一〇時ごろには息が苦しく、寒気がするというので、原告一正らは方々の医院に電話を掛けたが、診察を断られた。

そこで同原告は一一九番に電話をして中央医院(医師三名、看護婦五名、ベット数一九、診療科目は内科、外科、産婦人科、皮膚科、泌尿器科)を教えて貰い、午後一一時ごろ、同原告の運転する自動車でヒサを同医院に連れて行つた(その際、ヒサは苦しそうではあつたが、自分で自動車に乗つた)。

4  ヒサを診察した勝岡医師(同医師とヒサは初対面であつた)はヒサが悪寒、胸痛をうつたえ、熱(三七度九分)、咳漱、喀痰があり、聴診すると右胸部に水泡性ラッセル、気管支音があり、打診すると肺の方々に短濁音があり、これらはビールス性もしくは細菌性肺炎の臨床所見と一致し、かつ当時ビールス性肺炎が全国的に流行つており、中央医院も同種患者を診ていたので、ビールス性もしくは細菌性急性肺炎と診断した。

そして勝岡医師はその時の問診でヒサが高血圧の既往症を有することを知つたが、問診時のヒサの応答が不明確で、目の表情が乏しく、脳の障害も疑われ、肺炎による腎臓、心臓などに対する潜在症、合併症発病の可能性があるので、肺炎に対する治療のためだけではなく、経過観察、精密検査の必要があると思い、ヒサに入院を指示し、ヒサは歩いて病室に入つた。

5  勝岡医師は入院したヒサに対し直ちに血圧測定(血圧は六〇―九〇と低かつたので同医師は心臓衰弱を警戒した)、酸素吸入(はじめ一五〇〇リットル、後に六〇〇〇リットル)を行い、当日夜から翌一九日朝にかけて抗生物質セノマイシン、鎮痛剤カシワドール、鎮咳剤メルコチンを注射したほか、腎臓及び心臓障害に備えて利尿、冠動脈拡幅剤ネオフィリン、強心剤ベルサンチン、セジラニドを注射し、経口剤としては抗炎鎮痛剤メブロン、鎮痛鎮咳剤リン酸コデイン、肝障害剤強力ミノファーゲン・シー、鎮咳剤フスタギンなどを投与し、一九日朝以降には抗生物質セルトール、総合感冒剤オベロンなどを投与し、補液のため点滴(果糖、ビタミンなど)も行つた。

6  ヒサは一九日早朝にも胸痛、呼吸困難をうつたえ、尿量、尿回数はチェックしていなかつたが少量と思われた。しかし当日の午後から熱は下がり、意識も明瞭となつた(勝岡医師は当日ヒサから採血、採尿して検査のため検体を保健科学研究所に送つたが、検査結果はヒサ死亡直後ごろ報告された)。

7  翌二〇日の午前中には前日とほぼ同様の投薬、点滴が行われ、勝岡医師の回診時の印象では症状は少し良くなつたように思われ、導尿のうえ自ら検査を行い(その時の検査では、ヒサの尿には糖は出ていなかつたが、蛋白尿であり、少し酸性に傾いていた)、立位で撮影が望ましいため、安静が要求された一九日には施行しなかつたレントゲン撮影及び心電図検査を同日午後に施行することを予定していたが、ヒサの容態は当日午後二時半ごろ、急変し、ショック状態に陥つた。勝岡医師らは直ちに酸素吸入、強心剤注射、人工呼吸などの救命措置をとつたが効果なく、ヒサは午後三時に死亡した。

8  ヒサの死亡直後ごろに報告されたヒサの血液、尿の検査結果によると、蛋白尿があつたほか生体異常反応を示すCRPは四プラスと高かつたが(正常値はマイナス)、炎症の存在を示すA/G比は1.04と正常であり(正常値は一ないし1.5)、心筋梗塞を示すGOTは三六ユニットと正常であつた(正常値は三八ユニット以下)。しかし総蛋白量は5.3グラムと少なく(正常値は6.5から8.2グラム)、尿素窒素は五三ミリグラムと多く(正常値は八から二〇ミリグラム)、クレアチニンも5.4ミリグラムと多かつた(正常値は0.7から1.7ミリグラム)。

右検査結果によるとヒサは一八日夜の入院時すでに腎不全に陥つていた可能性が大きく、また前記のように二〇日午後二時半ごろにショック状態に陥つたことからすると、入院時、ヒサはショックの先駆、準備状態にあつたといえるが、勝岡医師はそれを知らなかつた。

9  勝岡医師は初診時のヒサの応答が不明確であつたことから脳の障害を疑つており、入院治療後、肺炎は軽快しており、他に死因となるような明確な原因が思い当たらなかつたので、ヒサの死因は脳血栓症ではないかと思い、原告一正ら遺族にそのように説明し、死亡診断書にもそのように記載した(なおヒサの遺体解剖はなされていない)

ことが認められる。

<証拠>によると、前記保健科学研究所作成のヒサの血液、尿についての報告書には受理日は昭和五六年二月二〇日と記載されているが、承継前被告勝岡泉吾本人尋問の結果によると、同研究所の中央医院に対する検体収集は毎日午後二時過ぎごろに行われていたことが認められるから、前記認定の検査報告がヒサ死亡の直後ごろにもたらされたことに照らすと、右記載は同研究所における正式受理を示すものであり、必ずしも検体受領の日を示すものではないと推測されるから、右各<証拠>における受理日の記載は一九日に勝岡医師がヒサの血液、尿を採取してこれを検査に出したという前記認定を覆すものではなく、原告生方一正本人尋問の結果中、一九日には血液、尿の採取はなかつたという部分は前掲証拠(同原告の陳述書にも一九日に看護婦がヒサの採血に来た旨が記載されている)に照らすと採用できず、他に前記認定を覆すに足りるだけの証拠はない。

二月一八日夜の入院当時、ヒサはビールス性もしくは細菌性急性肺炎にかかつており(前記認定事実を総合するとこの肺炎自体は中程度のもので必ずしも重症ではなかつたものと思われる)、腎不全に陥つていたほか、高血圧症でもあつたため、ヒサの全身状態は良くなく、ショックの先駆、準備状態にあつたといえることは前記のとおりであるが、同人が入院当時、心不全も起こしており、この心不全及び腎不全などのためすでにショック状態に陥つていたことまでを認めるに足りる証拠はない。

すなわち<証拠>によると、心不全とは心臓がその保持する予備力を最大限に活用してもなお全体として身体需要に正しく応じえない心筋の状態ならびにそれに起因する種々の臨床像、とされ、<証拠>によると、ヒサの種々の症状中には心不全症状と重なるものが存在することは否定できないが、急性心不全、ショック死の大きい原因である心筋梗塞については前記のようにこれを暗示するGOTは正常であるという否定材料もあり、心不全についての確定診断はできず、また前記鑑定の結果及び弁論の全趣旨によると、ショック状態とは出血などによる循環血液など体液の不足、炎症などによる循環動態の不全、循環系自体の病変、神経系の障害によつて生じ、脈拍微弱、呼吸不整などの緊急状態(重篤なものは直ちに死亡する)を示すが、前記認定のヒサが中央医院に赴く時の状態、初診時の症状、病室に自分で歩いて行つたことなどに照らすと、ヒサが入院時からショック状態にあつたとまではいえず、他に心不全、ショック状態を認めるに足りる証拠はない。

またヒサの死因については、前掲証拠及び前記認定事実を総合すると、ヒサは前記のように二月一八日夜の入院当時、ビールス性もしくは細菌性急性肺炎にかかつており、この肺炎自体は中程度のものであつたが、腎不全及び高血圧のため全身状態は良くなく、肺炎は一八日から二〇日にかけての治療で軽快しかけていたが、二〇日午後二時半ごろ、腎不全のほか何らかの複数の不可解の原因で(<証拠>によると、ヒサの従来からの慢性の腎臓障害は入院時には肺炎との合併などにより前記のように腎不全の状態にあつた可能性が大きいが、同鑑定の結果、同証人の証言によると、腎不全患者の人工透析も尿素窒素八〇ないし一三〇mg/dl、乏尿または無尿三日で開始され、乏尿がヒサの場合のように二、三日間続いても死に至ることはないことが認められるから、この腎不全だけを原因とみることはできず、心不全を確定診断できないことは前記のとおりであり、またその他の原因疾病を確定することもできない)体液バランスが不可逆的に突然崩れてショック状態に陥り、死に至つたとみるほかない。

そうすると勝岡医師が入院時にヒサの病名をビールス性もしくは細菌性急性肺炎と診断したことは誤りではなく、<証拠>によると、ヒサのような年令の患者の細菌性肺炎の予後は良くなく、危険であるから、勝岡医師が前記のように顕在する肺炎に対する治療を優先させ、それを第一としたことは妥当であり、また同医師は前記のようにヒサが入院時すでに腎不全の状態であつたことまでは診断、把握しておらず、またヒサがショックの先駆、準備状態にあつたことまでは知らなかつたが、もともと精密検査前の一八日の段階でヒサの腎不全を確定診断することは不可能に近く、また不明の複合原因でヒサがショックに陥る先駆、準備状態を予見することも不可能であるうえ、同医師は内科臨床医として当然とるべき措置としてヒサの既往症、当日の異常な血圧低下などから心臓、腎臓などに対する潜在症、合併症の発病を警戒して前記のような利尿剤、冠動脈拡幅剤などの投薬を行い、採血、採尿のうえ腎臓、心臓についての検査を施行したのであるから、同医師の肺炎以外の診断、措置(検査、治療)についても過失があつたとはいえず(尤も二〇日午後に予定されていたレントゲン撮影、心電図検査はヒサの死亡により結局実施されずに終わつたが、前記認定の事実及び弁論の全趣旨によると、一九日におけるヒサの容態は未だ安静を要したとみられるから、二〇日施行予定を遅きに失したとまでいうことはできない)、またヒサのショック状態は予見できなかつたのであるから、他病院への転医措置をとらなかつたことについて同医師を責めることもできない(なお<証拠>によると、発病後二四時間以内の死亡を「急死」といい、この「急死」の場合は遺体の解剖をしないかぎり病名、死因が不明のことが多く、従つて救命率も低いか、ヒサの場合のように初診時から死亡まで約四〇時間の場合も同様経過を辿ることが多いことが認められる)。

三このようにヒサの死因は不明であり、勝岡医師の過失を認めえない以上、原告らの本訴請求は失当ということになるから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上杉晴一郎 裁判官田中優 裁判官遠藤真澄)

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